- 1 名前:ネギうどん ★:2024/08/25(日) 12:20:32.34 ID:DT8CTYOw9.net
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サッカー日本代表監督 森保一さん(56)
サッカー日本代表監督の森保一さんは、小中学校時代に2度の「いじめ」に遭いました。中学時代のサッカー部では、「練習に行きたくない」と家族に漏らしたこともあると言います。ですが、気持ちを切り替える方法を見つけ、サッカーを続けました。そんな経験から「自分の周りの全員が敵になったわけじゃない。コミュニケーションをとる相手を替えてみて」と、友人関係に悩む君へアドバイスを送ります。【写真】FIFAワールドカップ(W杯)カタール大会、クロアチア戦で敗退が決まった後、吉田(左)をねぎらう森保監督(2022年12月)
花壇にランドセル 学校が嫌に
サッカー日本代表監督の森保一さん。小中学校の時、いじめを受け、友人関係に悩んだことがある意外に思われるかもしれませんが、小中学生の頃にいじめられ、学校や部活がつらくなったことがあります。
最初は、小学1年生の3学期に佐賀県唐津市から長崎市の小学校に転校した時です。新しい学校に通い始めてすぐ、同じクラスの男子にランドセルを教室の窓から外に投げ捨てられました。花壇に落ちていたランドセルを拾いに行くと、教室から見ていた同級生に「帰れ」と言われました。
嫌がらせをされる理由は思いあたらず、転校生が珍しかったからかもしれません。次の日の朝、登校を渋っていると、母に「学校に行け」と言われました。ただ、玄関を出ても、どうにも足が動かない。学校へ少しずつ近づきながら、1時間目のチャイムが鳴るのを聞いて、「もう間に合わないな」と引き返す日々が何日か続きました。事情を知った母が学校に連絡し、先生が嫌がらせをした子を叱ってくれ、嫌がらせはなくなりました。
つらい時、一人で抱え込まず、頼りになる大人に話すことは大切だと思います。
同級生から避けられるが、父に励まされ
中学校のサッカー部では同級生から避けられるようになり、「練習に行きたくない」と父に漏らしたサッカーに興味を持ち始めたのは小4の頃です。友だちとボールを蹴って遊ぶことが楽しくなり、小6から地元のクラブチームに入って、ゴールキーパーとして小学生の全国大会に出場しました。
ただ、中学校では サッカーをするつもりはありませんでした。進学する中学校にサッカー部がなかったからです。「ハンドボール部にでも入ろうかな」と、ぼんやり考えていました。実際にハンドボール部の練習に参加しましたが、初日の夜、父から「もうサッカーはやめるのか」と聞かれました。「やめるも何もサッカー部がないんだ」と答えたら、父が隣町の中学校にかけあってくれ、「練習だけ」の約束でサッカー部に参加できることになりました。
学校が終わると毎日、自転車で10分ほどの隣町の中学校に通いました。中学ではトップ下やフォワードに専念。技術が身についてきて、サッカーがどんどん楽しくなり、練習試合に出る機会も増えていきました。小学生の頃のサッカークラブのメンバーも多く、みんなと仲良くできると思っていました。
しかし、ここでも、友人関係に悩みました。他のメンバーを押しのけて練習試合に出るようになると、徐々に同級生から避けられるようになったのです。僕は、他の学校から練習に来ているだけの「異分子」。同級生の自分を見る目が厳しくなり、だんだんと話してくれる仲間が減っていきました。
部室の棚にスパイクを置いていたのですが、ある日練習に行くと、グラウンドに僕のスパイクだけが無造作に放り投げられていました。
最初は「置き忘れたのかな?」と思いましたが、次の日も、また次の日も同じようになっていて。「自分を嫌っている人がいる」とはっきりわかりました。嫌なことは忘れるタイプですが、ショックでした。
「練習に行きたくない」と父に漏らしました。父はその頃、他の保護者に声をかけ、通っている中学校にサッカー部をつくるよう働きかけてくれていて、「サッカー部ができるまでの我慢だ」と励ましてくれました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ef23c759e0f4666b845c470b59535203cf627a68
引用元:https://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1724556032
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Source: フットボール速報