ハリル監督、日本や日本代表を語る「私は協会会長を絶対に許さない」
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10月初旬に招聘された際の順位は19位。ところがナントはいくつかのスペクタクルな勝利を収めながら、一気にリーグアン10位にまで上昇したのである。サポーターの動員もグッと増え、スタジアムには興奮と熱狂が蘇った。
1日に12~15時間も働くヴァイッドは新たなチャレンジに没頭するため、気が散らないように当初はすべての取材要請を拒否。そして11月中旬になってようやく『France Football』誌の要望に応え、初めてインタビューを受諾した。
こうして私は国際代表マッチウィークに、彼とパリで再会できた。ヴァイッドは自分の選手たちに2日間の休暇を与えていたからだ。再会の舞台はパリ8区にあるイタリアン・レストラン。彼の馴染みの店である。
そこでヴァイッドは、仕事に就いているときはいつもそうなのだが、すっきりした気分で、1時間半に渡って誠実に胸中を打ち明けてくれた。
私が「ナントでなにを変えたかったのか」と訊いたときも、彼は笑ってこう答えた。「クラブを日本化したかったのだよ」と――。
「日本化する」という動詞は、ナントでの監督就任会見でも使っていた言葉だ。明らかに、大好きだった日本での3年間は、この男に大きな痕跡を残したのだ。
「本当なんだよ。日本社会の価値観をもたらしたかった。日本社会は、私にとってはほとんど理想の社会だね。努力、リスペクト、時間の正確さ、やる気、組織力。
これらの価値観をすべてフットボールに適用したら、成功するチャンスはぐんと高まる。たとえ悪い終わり方になってしまったとしても、私はあの国に滞在した間の良い思い出をたくさん胸に抱いているよ」
ヴァイッド・ハリルホジッチは私に、「トーキョー(日本を意味する代名詞)ではすごく気分が良かった」と何度も繰り返すのだった。しかも彼の願望はただひとつ。
もう一度サムライブルーを率いて、2014年ワールドカップでアルジェリア代表と実現したような快挙を成し遂げることなのである。
「私には真実が分かっている。本当に汚らわしい!」
「日本の民衆に、私はそういう贈り物をしてあげたかった。日本人がどれほど代表を愛しているかは分かっている。ワールドカップの準備も、どんなディテールもおろそかにせず、最大限の細やかさで入念に取り組んでいた。
ところが最後まで行くのを妨害されてしまった。私が勝ち取って積み上げてきたものを、私から奪い取ってしまったのだ。ビジネスをスポーツの上に置いてしまったのだよ。いくつかのスポンサーが圧力をかけてね。
私には真実が分かっている。彼らにあんなことをする権利はなかったのだ。本当に汚らわしい!」
4月のあの解雇を受け入れられなかったのは、どう見ても明らかだ。
「私はものすごく、ものすごく、悪い体験をした。私は協会会長を絶対に許さないつもりだ」
つづく
11/24(土) 5:41配信 サッカーダイジェスト
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181124-00010000-sdigestw-socc
コーチ・ヴァイッドは日本のメディアが報じたいくつかの記事も消化できなかった。
「選手のロッカールームに会長が入るのを禁止した、などと書き立てたんだよ。完全な虚偽報道だ! 情けない! だが、その手のでっち上げにいちいち反応して、自己防衛に躍起になるわけにはいかないからね」
応援や励ましのメッセージをたくさんもらったとはいえ、春と夏はやはりつらかった。
「多くの選手たちが電話をくれた。彼らも理解できなかったんだ」次いで、苦痛が少し和らいだ時期もあった。ロシア・ワールドカップだ。
「ほとんど試合を観なかったんだ。つらすぎてね。2010年にも、すでにコートジボワールで同じようなひどい目に遭わされた。なんと言うのかな、同じ不正義、とでも言おうか。分かるかい、2回もワールドカップを奪われたんだよ。
3つの異なる国の代表を率いて、3回とも予選突破にこぎつけて、3回連続で本大会出場に導いたのに、うち2回を奪われたのだよ」
「2点リードしながら負けるなんてことは一度もない」
とはいえ、ワールドカップで日本が描いた軌道については、ひとつ確信していることがある。もし彼がベンチで采配を振るっていたなら、出口は異なっていたに違いない、という点だ。
「2-0でリードした後にベルギーに敗北するなんて、あり得なかったと思うね。不可能だ! あの試合に負けるなんて、あり得ない! 私の監督キャリアでも、2点リードしながら負けるなんてことは、一度も起きていない」
なにがそう言わせるのだろうか?
「タクティックだよ。戦術は私のストロングポイントだからね。あまり話題にはならないが、私は戦術的な選択によって多くの試合で勝利を掴んできたのだ」
何週間もヴァイッド・ハリルホジッチは、監督キャリアに終止符を打とうかと想いを巡らせていた。
「クラブや代表チームからの誘いがかなりあったが、断った。再出発する気持ちになれなかったし、自分自身の心を偽りたくなかったんだ」
だがFCナントからのオファーに対しては、ついに「ウィ」と答えることになった。1980年代初頭に、彼がフランスでの冒険をスタートさせたクラブだ。
「私は必ずしも恵まれた人生をもらったわけじゃない。だが、いつだってつらい試練を乗り越えて、勝利してきたと思うんだ。ナントには恩があった。だからこうつぶやいたんだ。『おい、ヴァイッド、お前ならやれる!』ってね」
取材・文●レミー・ラコンブ(France Football誌編集長)
Source: カルチョまとめブログ