前園真聖、マイアミの奇跡に隠されたエースの苦悩!「内容的には(ブラジルの)10-0。でも、勝っちゃったんだよね」
- By : Kaskas55
- Category : 海外サッカー日本人選手
私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第8回
マイアミの奇跡に隠されたエースの苦悩~前園真聖(1)
「内容的には(ブラジルの)10-0。でも、勝っちゃったんだよね」
前園真聖は、アトランタ五輪のブラジル戦での勝利(1-0)を振り返って、そう言った。
1996年7月21日、1968年メキシコ五輪以来、28年ぶりに五輪出場を果たしたサッカー日本代表の初戦は、”サッカー王国”ブラジルが相手だった。DFロベルト・カルロス、MFジュニーニョ、FWサヴィオ、FWロナウドら、すでにA代表にも名を連ねる面々に、1994年アメリカW杯の優勝メンバーであるFWベベットとDFアウダイール、さらにMFリバウドがオーバーエイジ枠として加わったチームは、まさに”最強軍団”。大会直前の世界選抜とのチャリティーマッチにも勝利し、優勝候補筆頭と言える存在だった。
日本は、その断トツの優勝候補に1-0で勝った。それは「マイアミの奇跡」と称され、今なお語り継がれる”世紀のアップセット”となった。
その日本代表チームのキャプテンであり、”エース”だったのが、前園だ。
アトランタ五輪のアジア最終予選では、出場権がかかったサウジアラビア戦で2得点を挙げ、五輪出場に大きく貢献した。無論、アトランタ五輪でも躍動し、「世界をあっと言わせてくれるだろう」と多くのファンが期待していた。
もちろん、前園本人も自らに期待していた。そして、見事にブラジルを下したのだ。
しかしその翌日、前園の表情は冴えなかった。しかも、歴史的な勝利を挙げて以降、前園から発せられる言葉が失われていったのである――。
「監督、今までどおり、攻撃的なサッカーをやりましょうよ。どこまでやれるか、やってみましょうよ」
ブラジル戦前、前園はチームを率いる西野朗監督にそう訴えた。
というのも、西野監督は試合の数日前からブラジル戦は「守備的に戦う」と選手たちに告げていたからだ。
西野監督は、ブラジルに対して事前に偵察隊を送って、チームのシステムや選手個々の細かい情報を収集し、ウィークポイントを探していた。だが、試合の映像を見る限り、ブラジルの強さばかりが目立ち、付け入る隙はほとんどなかった。そんなチームを相手に、最終予選と同じように攻撃的な戦い方をしたら、痛い目をみるのは明らかだった。
前園は、その方針に異を唱えたのである。アジアを突破してきた力を「世界でも試してみたい」と思っていた。チームは結成以来、攻撃的に戦ってきた。最終予選のサウジアラビア戦も押し込まれて劣勢になったが、そのときも決して守備的に戦うことはなかったからだ。
しかし、前園の「攻撃的に」という直訴に対して、西野監督の答えは「ノー」だった。
「試合直前まで、西野さんに言い続けた。『自分たちの戦いをやろうよ』って。
でも、西野さんは当時41歳で、今の俺の年齢(45歳)よりも若いなか、初めて世界大会で指揮することになった。若い俺らがいろいろと勝手なことを言っていたけど、西野さんはチームのことを考えて、勝つためにどうしたらいいかを考えなければいけなかった。
今では西野さんの言うこともよくわかるけど、当時は(自分も)若かったからね。ただいつもどおり、攻撃的なサッカーをやって、ガチンコ勝負をして、自分たちの力を試したい――それしか考えていなかった」
一方で守備陣の選手たちは、前園をはじめ、城彰二、中田英寿ら前線の熱い思いを理解しながらも、務めて冷静で、西野監督の考えも素直に受け入れていた。
「ハット(服部年宏)とか(川口)能活とかは(自分の訴えに)反対していたね。俺らの思いはわかるけど、『相手はブラジルだぞ』って。
たしかに(自分も)スカウティングのビデオを見て、(ブラジルは)『強すぎる』と思った。普通に戦っても、押し込まれる時間が長くなるだろうな、と。それは、自分も納得していた。
だからといって、最初から守備的にするのはどうかなって、思っていた。だから、攻撃に入ったときは『みんなで攻めようよ』っていう話をしたんだけど……。(みんなの)同意を得るのは難しかった」
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2018年12月17日 7時15分
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/15750219/
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Source: 海外サッカー日本人選手速報 WORLD SAMURAI