Jリーグ、歴代ガッカリ外国人選手5人 リネカーやベベットら各国代表の選手が活躍できずに退団
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〓『期待外れ』でまず思い浮かぶのは・・・
ゲーリー・リネカー(名古屋グランパスエイト/元イングランド代表)
生年月日:1960年11月30日(当時33歳)
在籍期間:1993年~1994年
Jリーグ成績:18試合出場4得点
ワールドカップに2度出場し、86年メキシコ大会では得点王に輝いたイングランドの伝説的ストライカー。特筆すべきはクリーンなプレースタイルで、一度も警告を受けずにプロキャリアを終えた。
Jリーグでは1993年に名古屋グランパスエイト(当時)でプレー。数々のスーパースターが来日した創世記のJリーグにあっても、リネカーのネームバリューはトップクラスだった。しかし、目立った活躍を見せられずに退団。日本で結果を残せなかった外国人はたくさんいるが、それまでに築いたキャリアが偉大すぎるだけに、ガッカリ度は大きい。
〓Jリーグ第1号を決めた男
ヘニー・マイヤー(ヴェルディ川崎/元オランダ代表)
生年月日:1962年2月17日(当時31歳)
在籍期間:1993年5月~同7月
Jリーグ成績:11試合出場2得点
記念すべきJリーグ開幕戦で最初のゴールを決めたのは、三浦知良でもラモス瑠偉でも、木村和司でもなかった。左から中へ持ち込み、強烈な右足シュートをネットに突き刺した男は、ヘニー・マイヤーだった。
堂安律が所属するフローニンゲンでかつてプレーし、オランダ代表にも選出されたことがある。スター揃いのヴェルディ川崎(当時)の一員として鮮烈なゴールを奪ったものの、その後は活躍できず。Jリーグ第1号を決めた男は、その年の7月に退団となった。
〓94年W杯優勝の原動力
ベベット(鹿島アントラーズ/元ブラジル代表)
生年月日:1964年2月16日(当時36歳)
在籍期間:2000年~同5月
Jリーグ成績:8試合出場1得点
ブラジル代表ではロマーリオとの2トップで世界を制圧。1994年ワールドカップアメリカ大会優勝の原動力となった。得点を決めたときに見せる「ゆりかごパフォーマンス」は彼の代名詞だ。
ジーコに始まり、レオナルド、ジョルジーニョとブラジル代表が何人も在籍した鹿島に、ベベットが加入したのが2000年。しかし、8試合に出場してわずか1得点と惨憺たる結果で加入から4ヶ月後に退団した。ちなみに鹿島はこの年、史上初の国内3冠を達成している。
つづく
11/30(金) 10:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181130-00299221-footballc-socc
アブデルジャリル・ハッダ(横浜F・マリノス/モロッコ代表)
生年月日:1972年3月21日(当時28歳)
在籍期間:2000年の4日間
Jリーグ成績:0試合出場0得点
かつて横浜F・マリノスに、モロッコ代表選手がいた。しかし、公式戦でのプレーは誰も見ることができなかった。加入後わずか4日で退団したからだ。
モロッコ代表として1998年ワールドカップフランス大会に出場し、2得点を挙げた実力者。当時28歳と年齢的にピークを迎えていたと思われ、興味をかきたてられる存在だ。史上最年少でリーグMVPを受賞することになる中村俊輔とのプレーが見たいと思った人もいるのでは。
〓サッカー選手からフィギュアスケーターへ
イルハン・マンスズ(ヴィッセル神戸/トルコ代表)
生年月日:1975年8月10日(当時28歳)
在籍期間:2004年~同6月
Jリーグ成績:3試合出場0得点
2002年ワールドカップ日韓大会において最大のアイドルはデイビッド・ベッカムだったが、イルハン・マンスズの日本でのフィーバーぶりも凄かった。そんなイルハンがJリーグにやって来たのが2004年。ヴィッセル神戸の一員になり、大きな話題となった。
しかし、肝心のピッチ上でのパフォーマンスは精彩を欠き、最後はクラブに無断で帰国するという暴挙に。爪痕を残すことなく神戸を去ることになった。現役引退後は、フィギュアスケートに挑戦した。
Source: カルチョまとめブログ